うを徳の歩み

うを徳の歩み

大正の末頃に、小宮徳造が向島の鮮魚店で修行後、現在の地で鮮魚商と料理の店を開業する。屋号は、自分の名前の一字を取って「魚徳」とする。
徳造の八男、小宮健が高校卒業後、飯田橋にあった「都寿し」を皮切りに、西荻窪の「亀の子鮨」、銀座の「奈可田」、京都木屋町通りの「吉野鮨」、香川県高松の「すし松」で修行後、昭和三十九年八月、現在の地で鮨商「おすもじ処うを徳」を開業する。
健の長男、小宮健一が大学卒業後、京都木屋町通り御池上がるにある日本料理店「割烹やました」で修行後、平成四年、「おすもじ処うを徳」に入店し、現在に至る。

おすもじ とは

おすもじとは

広辞苑によれば、おすもじとは、「御す文字」(女房詞)、鮨、すもじ。
女房詞(にょうぼうことば)とは、室町初期頃から宮中奉仕の女官が主に衣食住に関する事物について用いた一種の隠語的なことば。のちに将軍家に仕える女性から町家の女性まで広がった。
飯を「おだい」、肴を「こん」、鯉を「こもじ」、団子を「いしいし」、浴衣を「ゆもじ」、擂鉢を「御回し」、といった類い。
古くから使われていた言葉を、いつまでも残していきたいとの思いから、店名につけました。

向島百花園入口

向島百花園

当店うを徳のすぐ傍に、都立の庭園、向島百花園 があります。造られたのは江戸の町人文化が栄え始めた1800年代、骨とう商を営んでいた佐原鞠塢という人が「民営の花園」として開園させたのがはじまりとのこと。そのためでしょうか、小石川後楽園などのいわゆる大名庭園とくらべると、こじんまりとして豪華さはないものの、独特の趣があります。
百花園の名の通り、四季折々の草花が一年中楽しめるように様々な植物があり、また「虫ききの会」「お月見の会」といった風情ある行事も開催されています。
向島百花園で散策を楽しまれたあとには、当店うを徳にお立ち寄りいただければ幸いです。